この文は日経サイエンス誌「世界の研究室から」という、海外の研究者によるエッセイ・シリーズに寄稿したもので、2002年1月号3ページ（2001年11月25日発売）に掲載されました。なお、ここに収載したものは、オリジナル原稿で、長さの関係などで、一部手直ししたものが、掲載されています。
掲載原稿（PDFファイル＝44 Kbyte）はこちら：ゲラ刷版ですがコンパクトで、印刷には好適？
「眠りの不思議に魅せられて」
粂 和彦（くめ・かずひこ）
タフツ大学医学部神経科学客員研究員、東京大学医学部助手、１９６２年生まれ。
内科医師、分子生物学研究者で、脳内時計と睡眠の基礎的なメカニズムを研究している。
ボストンは、人口は５０万人に過ぎないが、市制３７１周年を迎えた米国で最も歴史のある町で、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学（ＭＩＴ）を筆頭に、多数の一流大学と、人口比では全米一の数と高い質を誇る一流病院群を有し、医学研究においては、間違いなく世界の中枢である。この町には、レベルの高い研究室がひしめきあい、日常的に最先端の未発表データが交換されるというアカデミックな環境がある。
私は内科医としての研修をした後、分子細胞生物学の分野で基礎医学研究を続けてきたが、意識や夢という未解明の脳の高次機能面からも、不眠症や過眠症という臨床医学面からも、睡眠に大きな興味を持ち続けてきた。１９９９年に、この睡眠を制御して密接に関係する脳内時計の研究をするため、ハーバード大学医学部・マサチューセッツ総合病院（ＭＧＨ）に留学してきたが、ボストンという町の素晴らしい環境の恩恵により、幸運にも予想外の方向に研究を発展することができた。その発端は、ＭＧＨで哺乳類を用いた研究をしていた時に、まだ未発表の最新の成果として、高等動物にしかないと考えられていた睡眠が、なんと昆虫のハエにもあるらしいという噂を聞いたことに始まる。最近、全ゲノム解析が発表され、人間は予想よりも少ない約３万個の遺伝子しか持たないことがわかったが、ショウジョウバエは１万６千個の遺伝子を持ち、単純に言えば人間の半分で、確かに「人並みに」眠っても不思議ではない。
ショウジョウバエと言えば、小学校の理科で、牛乳ビンにバナナを入れて捕まえ、１週間後には成虫が増えるという観察をした人も多いはずだ。この虫は、広範囲の生命現象を研究するのに重宝され、人間の病気の遺伝子解析にさえも使われている。もしハエも眠るのなら、その睡眠機構を研究すれば、哺乳類を使うよりも解明が早く進む。ＭＧＨでの最初のプロジェクトが非常にうまく進んで、短期間で大きな成果をあげることができたこともあり、私は、研究対象を変える決心をして、私のアイデアで、ハエの睡眠研究が始められる場所を探した。そして、ここでも研究室が豊富にあるボストンの地の利から、適当な所がすぐに見つかり、タフツ大学医学部の研究室に移った。当初は私自身も半信半疑だったが、実際ハエで研究を始めて見ると非常に面白いことが次々にわかってきた。ハエは、昼行性で、日中（特に朝と夕方）活発に活動し、夜間はじっとしている。この時のハエは眠っているのか、今でも意見は別れるが、外からの刺激に鈍感になっていること、この時間に起こして無理に活動させると、その後、通常より長く休むこと、カフェインを飲ますと休まなくなること、など、睡眠に似ていることは確かだ。さらに、これらの基礎解析を続けいてる間に、運良く「眠らないハエ」を発見したので、今はその研究に没頭している。このハエは、夜にも休まず、ずっと動き続ける。極端な場合、３日間ずっと観察して、５分以上動かない時が一度もない。正常なハエは、１日のうち、必ず何時間かは、じっとしているものだ。この眠らないハエは、外見的には正常だが、寿命は短く、いろいろ障害も出るようだ。この「不眠」の原因遺伝子の本体は確認中だが、人間の同じ遺伝子の研究を進めれば、睡眠制御の本質に迫り、睡眠薬や医療用の覚醒剤の開発にもつながるはずで、実にエキサイティングである。
留学先で、まさか「ハエの医者」になるとは、自分でも予想しなかったが、このような新しい発想の研究に短期間で方向転換をして、進めたのも、この町の環境と、何事でもしっかり分業が行われ、研究者が研究のみに専念できるアメリカのシステム面に負うところが大きい。雑用が少ない分、研究以外の自分の時間も増え、広い範囲で興味を深め、勉強する時間も潤沢に取れる。その成果として、睡眠の臨床の勉強もできたし、睡眠に関するホームページも立ち上げることができた。（睡眠障害相談室 http://homepage2.nifty.com/sleep/）
現在の日本のトップレベルの研究室は機械・設備面、予算面で、世界の多くの研究室を凌駕し、高い業績もあげている。しかし、情報交換などの環境や効率と、個人の生活面での満足感など、今でもアメリカから学ぶべき点がたくさんあると感じている。
仲良く並んで眠るショウジョウバエたち！？
（本当は撮影のために、麻酔をしています）
この原稿を読みに来て頂いた方へ： ありがとうございました。
是非、睡眠障害相談室もごらん下さい。
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