All Souls: A Family Story from Southie


Written by Michael Patrick MacDonald
ISBN 0-345-44177-X
Ballantine , Paperback, $14
出版社:www.randomhouse.com/BB/
     この本のカタログ(英文)
日本語訳は、ないみたいです。残念!
誰か、翻訳してくれないかな・・・
<=クリックで拡大できます(主人公達の写真!)
  2001/07/20 紹介

この本は発行された1999年の、Boston Globe のベストセラー、American Book Award 受賞。South Boston の最も貧しい地域で育った著者の自伝で実話です。彼は1966年生まれで、私より若く!、育った場所も、現在の私の職場(タフツ大学医学部はボストン市内中心部のチャイナタウンのそばにあります。)からすぐ近くで、非常に身近ながら、こんなにひどい状況があったのだと驚きました。彼は11人兄弟の4人を自殺・他殺などで失っています。しかし、暗く、恐ろしく、人間に対する信頼を全て失わせるような悲惨な出来事が淡々と書かれる中に、貧しい中で生きる子供たちの逞しさ、人間の強さ・素晴らしさを感じ、宣伝には、「命と再生の物語」と賞賛されています。ぼくも第1章と第10章は、読みながら、不覚にも泣けてしまいました。ボストン・アメリカを愛する方、ボストンの悪い部分、汚い部分までを含めて、まるごとこの町を知りたい方、是非、お読み下さい!というより、ボストンを知らない人にも、poverty, racism, violence と、悲惨なできごとの中でもhumanity を失わなかった人々の物語として、十分面白いと思います。


読む前の基礎知識

1.Southie (サウジー): 南ボストン地域と、そこに住むアイルランド系住民のこと。映画 ”Good Will Hunting ”(これもお勧め)は、Matt Damon 演ずる、Southie 出身の貧しい青年が、数学の才能で、Southie から脱出する話。Matt は、実際、ボストン育ち。なお、Charlestown, North End も、治安の悪い、貧しい地域で、Eastie, Townie と呼ばれていて、後者はイタリア系が主流。なお、当時、Southie の若者は、中指にSouthie Mark と呼ばれる入れ墨をしていて、一目でわかったらしい。

2.アイルランド系移民:アイルランドは国そのものが貧しくかったことから「貧しさから逃れるために」やって来た移民が多く、ボストンに渡ってくるとそれ以上先に進むお金もなく、町の周辺に住んだ。イギリスやドイツから「新大陸にあこがれて」渡ってきた移民は、お金があり、時々ヨーロッパに帰ることもあったし、少し郊外にも住めたが、アイルランド系は、里帰りもできず、生活保護を受けて市の提供する家賃の安いアパートがある、南ボストンに、たくさん住んでいた。アイルランド人はカソリックが多く、子だくさんも有名で、それも貧しさの原因。MacDonald, AtKinson などのMac, Mc, At で始まる名前は、アイルランド系が多い。成功した例としては、ケネディ一家。彼も10人以上の兄弟がいる。 アメリカを支配してきたのは、WASP (White Anglo-Saxon Protestant)だと言われるが、ケネディは、カトリックでアイリッシュであり、アメリカ史上初の、WASP でない大統領である。

3.バス通学:forced busing と呼ばれるが、(貧しい)白人と、黒人を融和させるために、ボストン市が行った政策で、具体的には、(貧しい)白人の多い、South Boston, West Roxburyと、黒人の多い、Roxbury, Dorchester などの間で、生徒を混ぜるために、白人を黒人地区へ、黒人を白人地区へ、強制的にバス通学させた。この政策が民主党主導で行われたため、ボストンの貧しい階級には、民主党嫌いが多い。これには、強硬な反対運動も起こり、生徒がバスに投石したりして、たくさんの怪我人・逮捕者が絶えなかった。

4.James "Whitey" Bulger:South Boston を牛耳っていたマフィアの大ボス。コカインの全盛期に、コカイン売買でボストンを支配していたが、自分は手を汚さず、FBIに情報を流すことで摘発もされなかった。現在は、殺人容疑で指名手配中。昨年(2000年)も、腹心の部下が、司法取引で彼の殺人の証言をして、Quincy のビーチが遺体捜索で掘り返されて、彼のガールフレンドの遺骨が発見されたりした。現在のマサチューセッツ州立大学の学長のWilliam M. Bulger は、彼の弟である。

5.Gun buyback movement:Roxbury などで始まり、著者も協力している銃の買い取り運動は、今でも続いていて、決して過去のものではない。ボストンで最大のものは、1995年に行われて、つい最近の話である。ブッシュが、連邦レベルでの予算を切り始めたのが懸念される。

6.(おまけ1)ボストンなまり:Bostonian は 長音のrを発音しない。fork = fok, sugar=suga と発音する。上述のBulger は、”バルジ”と聞こえる。r を発音する若者は、yuppy 。

7.(おまけ2)St. Patrick Day:アイルランド人にとって、緑色、Shamrock (クローバーのような葉で国旗に使われている)、そしてSt. Patrick は特別な意味があり、この著者の兄弟の4人が、Patrick という名前を持つし、著者は緑色の服を着るのが好き。St. Patrick Dayのことは、St. Paddy's Day と呼ぶ。


なおこの本をバスや地下鉄で読んでいたら、何人もの人から、「私も読んだよ。」とか「それ、いい本だろ?」とか、話しかけられ、嬉しい思いをしました。同僚もみんな読んでいて、特に1人は、West Roxbury 育ちのアイリッシュで、著者と同年代、バス通学に当てられて、それが嫌で、カソリックの私立小学校に行ったという人なので、いろいろ話が聞けて面白かったです。


著者の紹介

著者は11人兄弟の典型的アイリッシュで、南ボストンでも最も貧しい地域で、最も紛争の激しい時代に育った。本書中では、下記のように紹介されている。

Micael Patrick MacDonald was born in Boston in 1966 and grew up in South Boston's Old Colony housing project. He helped launch Boston's successful gun-buyback program, is founder of the South Boston Vigil Group, and works nationally with survivor families and young people in the anti-violence movement. He is a recipient of the 1999 Daily Points of Light Award and the New England Literary Lights Award, among many others. All Souls, MacDonald's first book, received the American Book Award.


著者の家族一覧

表紙は、著者はまだ産まれていないが長男から6番目までの兄弟の写真。(背表紙側に長男、次男がいるので、ここで見える4人は、3、4番目の双子と、5、6番目)子だくさんのアイルランド系の家族を象徴する写真。本文の前に、著者の家族の一覧と、子供の頃の写真がある。そのうちの一枚は、兄のKevinが通学バスに石を投げている写真。

Helen (MacDonald) King:著者の母
 アイリッシュ・アコーディオンを弾く芸人。最初の結婚で9人の子供をもうけるが、だんながアル中で、見切りをつけて別れ、生活保護と、水商売で子供を育てる。常に活動的で、最終的にSouthie からコロラドに転居したあとも、コロラドの障害者の人権運動に貢献する。南ボストンの母と呼ばれ、皆から慕われた、美しい肝っ玉母さん。

David Lee MacDonald: 長男、1956年生、1979年死亡
精神疾患になり、精神病院と自宅を行ったり来たりの生活の中、自宅の屋根から飛び降り自殺。

John Joseph MacDonald: 1957年生
 バス通学にも合わず、ストレートでタフツ大学に進み、唯一、Southie からの脱出を、早々に果たし、Navy に入り昇進する。

Mary MacDonald: 1958年生
Joseph MacDonald: 1958年生
 双子の兄弟。Mary は、City Hospital (現 Boston Medical Center)の看護婦になる。Joe も、Air Forceに入り、Southie を脱出する。

Francis Xaiver MacDonald: 1959年生、1984年死亡
 麻薬や犯罪がはびこるこの地域で、ボクシングに専念して、悪事に手を染めず、Southie の皆があこがれていたスター。Frank "the Tank" と呼ばれ、皆から慕われていたが、Kevin のために麻薬の仕事をしていた時に、射殺される。

Kathleen MacDonald: 1961年生、1981年昏睡状態
 自宅の屋根から友人に突き落とされ昏睡状態に。意識は回復するが障害者となる。

Kevin Patrick MacDonald: 1963年生、1985年死亡
 著者の最も仲の良かった兄。麻薬の取引などでWhitey に可愛がられるが要領もよくて、お金持ちの娘と結婚して、Southie を脱出する。しかし、最後は獄中で自殺(に見せかけた他殺かもしれない)

Patrick Michael MacDonald: 1964年生、1964年死亡
 生後3週間で病気になり、母親が救急病院に連れて行くが、治療を拒否されて(当時は、生活保護の患者を診る数が、1日何人と決まっていた。)、翌日、死亡。

Michael Patrick MacDonald: 1966年生
 著者。すぐ上の兄が急死して、その移り替わりだと母に教えられる。また、下の兄弟との間隔があいているので、末っ子のように育つ。

Seamus Coleman King: 1975年生
 著者と9歳離れた弟で、末っ子のStevie とともに、著者がよく面倒をみて可愛がった。

Stephen Patrick King, "Stevie": 1976年生、末の弟
 13歳の時に殺人の冤罪を着せられ、1年間、少年院暮らし


各章のご紹介

1. All Soul's Night
2. Freedoms
3. Ghetto Heaven
4. Fight the Power
5. Looking for Whitey
6. August
7. Holy Water
8. Stand-Up Guy
9. Exile
10. Justive
11. Vigil


1. All Soul's Night
第1章は、Southie の教会で、自殺、他殺、麻薬中毒で亡くなった200人以上の若者たちの追悼式のシーンから始まる。彼らは、時には、たくさんの人が見ている目前で殺された。しかし、いつも、警察の捜査が始まると、誰も、証言をしなかった。mind your own business が、Southie の不文律。

2. Freedoms
著者の母は、アイルランド人の素敵な女性で芸人だが、夫がアル中で離婚し、1人で子供11人を育てることになった。最初は、両親の住むJamaica Plainの、普通の住宅街に住んでいたが、祖父母との仲が悪くなり、独立して生活するため、もっとも貧しい地区のSouth Boston (Southie) のOld Colony に引っ越した。このアパートでの話は、愉快。生活保護を受けているのだが、母親は夜、バーでアコーディオンを弾いて歌を歌い、小金をかせぎ、それなりの生活を送る。しかし、収入があることがばれると、保護をうち切られるので、民生委員(?)が、見回りに来る時には、綺麗な家具やテレビを隠したりして、子供もも協力した。

3. Ghetto Heaven
1973年、Old Colony に引っ越した時、著者は、まだ7歳。ところが、引越の当日から、兄弟全員が、喧嘩を売られたり、いやがらせを受けたり・・・これが、Southie に入るための通過儀礼だった。その日、喧嘩をした隣人の子と、著者は親友になる。しかし、彼も含め多くの友人が、Southieの混乱の中、殺される。

4. Fight the Power
著者が、小学校に入る頃、ボストン市が、「バス通学」を開始する。これに抗議して、通学のボイコット、スクールバスへの投石が相次ぎ、大混乱になる。著者の兄のKevin が石を投げている写真が、ボストン・グローブのトップに載る。

5. Looking for Whitey
バス通学の混乱も続く中、南ボストンには、コカインがどんどん入り込み始める。それにまつわる殺人があっても、誰も証言しようとしない。また、時に、密告を試みるものがあっても、警察もマフィアの大ボス、Whitey の手中で、警察で電話を取るのが彼の手下だったりして、電話をした直後に、殺されることもあった。このあたりのストーリーは、"Once Upon a Time in America"というギャング映画に出てくる話を彷彿とさせる。

6. August  "Davey" の章
長男のDavey は精神病院に入院して、週末帰宅する生活を続けていたが、主治医が夏休みを取って、長期に在宅する8月は、いつも調子を崩していた。1979年の夏も、家に戻っていた彼は、ある日、急に落ち着いた安らかな表情になり、その後、飛び降り自殺をしてしまった。彼を、精神病院に見舞った時の話などは、当時の精神医療の状況をよく伝える。

7. Holy Water  "Kathy" の章
麻薬に溺れていた姉のKathy は1981年のある日、薬のことで友人ともめている間に、屋根から転落して頭を打ち、昏睡状態になる。著者は、Boston Latin 高校に通っていたが、姉の病院に毎日通い、これが原因で学校には行かなくなってしまった。Holy Water は、それまで、孫たちに冷たかった祖父が、Kathy の回復を願って病室に持ち込み、彼女にかけた水のこと。その後、奇跡的に、彼女は意識を回復していった。

8. Stand-Up Guy  "Frank, Kevin" の章
Kevin は、Whitey がbest man となって結婚し、Newbury Streetに住むようになり、麻薬稼業から足を洗う。そして、Frankie はボクシングで優勝を続ける一方、Kevinの麻薬稼業の後をついて羽振りが良かった。1984年7月17日、これは、母親の50歳の誕生日だったが、Medford で強盗があり、一人が射殺された。彼は銀行の現金輸送車を強盗しようとして射殺されたことになっていたが、実際は、麻薬売買が発覚しそうになり、仲間に殺された。これが、Frank だった。半狂乱になった母親は、真相を暴こうと、麻薬や銃の売人などの所を渡り歩き、"Whitey"の所にも行くが、誰も証言しようとはしなかった。かたぎの生活を始めて二人の子供もできたKevin だったが、その後、またSouthieに戻ってくるようになってしまった。12月に彼は、友人と宝石店を強盗する。この時、友人が宝石店の店主を撃とうとしたのを止めようとして、彼は、足を撃たれ、逮捕される。警察は、Whitey の一番の部下でもあるKevin に、Frank の事件のことも含めて、Southie の犯罪全体について証言するようにせまる。しかし、刑務所で、彼は自殺してしまう。ところが、その自殺の直前に、なぜか、Whitey の友人の探偵が、夜の11時30分という、普通は面会の許されるわけのない変な時間に、彼を独房に訪問していたことが、後からわかる。

9. Exile
80年代後半になると、Southie の犯罪が大きく取り上げられるようになり、町中での犯罪は減り始める。従来のようにガンを振り回したごろつきが、"Whitey"から、3時間の拷問を受けたという噂も流れる。しかし、町の掟に反したものは、これまでのように町中で殺されることが無くなっただけで、知らないうちに消え去っているようになった。

10. Justive  "Stevie" の章。
とうとう、Southie に耐えきれなくなった母親は、一番下の二人の子を連れ、コロラドに引っ越した。筆者もSouthieに寄りつかなくなっていた。ところが、夏休みにOld Colony の家に里帰りしていた一番下の13歳の弟Stevie が、親友と遊んでいる時に、親友が自分で自分に誤って銃を発砲してしまう。Stevie は動転して救急車を呼ぶが、警察は彼を犯人として逮捕する。そして、でっちあげの証拠(「救急車を呼んだとき自分が撃ったと言った」、や、「死んだ13歳の男の子の腕の長さが18インチ=45cmしかないので、銃を自分に向けて撃てない」という、ridiculous な解剖所見)と、無実である証拠(Stevie の手から火薬の反応が出なかったこと)の隠滅で、彼は有罪とされてしまう。その後、著者は4年間をかけて、この「とんでもない」判決の不正を正して、最後に、弟の再審・無罪を勝ち取る。その「巨大な不正」との戦いの中で、まったく一銭にもならない仕事を引き受けてくれた弁護士や、弟の無実を信じてサポートしてくれた精神科医らとの出会いの中で、著者は、人間への信頼を回復していく。この本の中でも、最も感動的な章。

11. Vigil
このような社会活動の中で、著者は、Roxbury、Charlestown から、銃をなくす運動を行っている人たちと知り合い、その運動を、Southie にも広げる努力を始める。vigil という言葉には、「寝ずの番, 徹夜, 夜通しの看病、(教会で行われる祈願のための)通夜、祈願」などの意味から、「監視」という意味がある。



話は終わってはいない・・・

現在、南ボストンの彼のいたプロジェクトの付近は再開発が終わり、高級住宅が建ち並び、彼の弟が殺されそうになったビーチは、市民の憩いの場です。しかし、黒人の多い地域や、チャールズタウンでは、現在でも、マフィアが強い勢力を持っていて、私が1999年に勤めていたMGHのそばのレストランでは、数年前に、3人の白人が白昼堂々?と、撃ち殺されたりしたそうです。2001年にも、Dorchester で、数十人を集めた誕生日パーティーを庭でしていた中学生(13歳)が、対立していたグループに撃ち殺されました。その手口は、マシンガンを持った男が数人、窓を黒く塗った車でのりつけて、目的の子供だけ撃ち殺すという、まさに映画の世界です。ところが、実際、この時は、目的の子が逃げて、その子をかばおうとした男の子が間違って撃ち殺されました。この子は、peace keeper というあだ名がついていた男の子で、学校で争いがあると、いつも止めていた子らしく、皆が怒っている話が出ていましたが、それでも、犯人は捕まらなかったのではないかと思います。また、ボストンは、麻薬売買がやや減って、犯罪率も減っていますが、80年代のコカインの再来と言われる、エクスタシーという覚醒剤が、大流行を始めています。お隣のコネティッカット州のHartford という町では、この著者の描いた80年代の南ボストンのような地域が今もあるようで、2001年にも、7歳の女の子が、町の中の麻薬売買者のたまり場での抗争の巻き添えなって死亡し、住民(母親たち)が、今度こそ黙っているのは嫌だと、その麻薬窟に抗議運動を起こしていることが報道されていました。
また、筆者が高校生の頃、ダウンタウンのディスコで(Saturday Night Fever がヒットした時代です・・・懐かしい・・・)踊った後、タクシーで帰る時に、South Boston というと、運転手が怖がって誰も載せてくれなかったそうで、しかたなく、West Roxbury と言っておいて、その途中で、一番近いところで降りて歩いたそうです。しかし、最近も、タクシー運転手に対する強盗が続いて、運転手組合が、夜間は、Dorchester, Mattapanなどへは行かないということを言い始めていて、それに対して、それは人種差別であるという抗議も、また起きています。問題は根深いですね。


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